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"世界の野球"インドネシア野球 「第19回 インドネシア国民体育大会 総評」

2016年11月16日

文・写真=野中寿人

 インドネシア国民体育大会も無事に全試合が終了し、インドネシア代表チームの選手を多く抱えるジャカルタ州が優勝。そしてランプン州が準優勝という予想通りの結果となりました。この国民体育大会の終了により、2019年のインドネシア国民体育大会予選までの3年間、州主体としての野球活動が休止し、選手たちは、おのおのに所属をする各クラブチームの活動に戻っていきます。

 昨年トップチームが参加したアジア選手権大会では、インドネシア国民体育大会予選におけるレギュラー選手全員が代表チームに参加できませんでした。また、今年のU18アジア選手権も同様に、インドネシア国民体育大会が重なりベストメンバーでのナショナルチーム編成ができなかったなど、毎回、このインドネシア国民体育大会と国際大会の時期と日程が、重なり合ってしまうのがインドネシアの特徴となっています。
 こと2019年はトップチームのアジア選手権大会や東南アジア競技大会という2つの国際大会がありますが、またも同時期にインドネシア国民体育大会予選が開催されることから、国代表と州代表との間での大きな問題が発生し、国からの資金援助の乏しさから、どうしても予算の多い州が主導権を握った形で進んで行くこととなることでしょう。

 そして、今年のインドネシア国民体育大会ですが、まず、国内での力量関係の図式が、今までジャカルタ州が突出していた状態から、スマトラ島のランプン州などの地方の州が向上してきているという図式に変わって来ています。今回の優勝決定戦では、わずか1点差にてジャカルタ州がランプン州に勝ち、かろうじての優勝でした。このような現象は他の地方州への影響が非常に大きく、次回のインドネシア国民体育大会が非常に楽しみです。
 ただ、残念なことですが…やはり、新人の発掘や大きな成長を伴う選手が出現していません。逆に成長を期待していた選手のパフォーマンスの低下などマイナス部分も目立ちました。

 次世代のインドネシア代表選手という観点からも、先のU18アジア選手権の他国との比較も合わせ、やはり投手育成が大幅に遅れていることが証明されたインドネシア国民体育大会。そして、インドネシア人の指導者の育成も急務であることも合わせ、インドネシアの野球関係者は単なるスポット的な思考ではなく、中長期的なスタンスで野球の向上と選手の育成を考えていかなくてはならないと痛感します。
 自国独立という意味からも2018年のアジア競技大会に向けたソフト面、ハード面の育成と構築が必要です。各国際大会、各国内大会において、同じ失態内容を繰り返す時期は、既に過ぎたということです。すなわち、思考の目覚めに期待したい。我々は、単なる手助けとして、その道筋を提供するのみにすぎませんが、目覚めるまで、しつこく物事を言い、提供可能な全てのことを与えていく覚悟でいます。

 また、各州における資金援助の問題にしてもしかり、国最高峰のナショナルチームが州の代表選抜チームに、力量部分で押しやられることにも大きな疑問を抱きます。その根本にある「報奨金などを含む金銭的な問題」は、例えば代表チームへ選ばれた人数に応じて、各地方州から国代表を統括するインドネシアアマチュア連盟本部への資金を流通させるシステムなどを導入するなど、もしくは、インドネシアアマチュア連盟本部が国代表チームの運営に関するビジネスを構築して、国代表チームの立ち位置の強化を図る(そのためのインドネシアアマチュア連盟の人事改正。すなわち資金を獲得出来る適任者の選択)など、その他の方法をも提案をし、最終的に、この3年以内で何らかの解決策を見出さなければならないでしょう。

日本人監督の挑戦
著者プロフィール
野中 寿人(のなか かずと)
1961年6月6日生。日大三高野球部在学3年の夏に西東京代表にて全国高等学校野球選手権大会に出場。
その後、日本大学体育会硬式野球部へ進学。日本大学では1年の秋から体調を壊し2年間の休部をし、現役野球人生を終える。大学卒業後は、フィリピン、サイパンなどで仕事をし2001年にインドネシアのバリ島へ移住。2004年からバリ島の子供達に野球を教え始め2005年にリトルリーグを発足。2006年にはバリ州代表監督に就任、また、クラブチームを発足。2007年にはインドネシア代表ナショナルチームの監督に就任。2007年のSEAゲームスで銅メダル、2009年のアジアカップで優勝、同年のアジア選手権大会へ出場。その後、インドネシア代表ナショナルチームの監督を辞任し、地方州底上げの為に、東ジャワ州代表監督に就任。2011年のインドネシア国体予選で準優勝、2012年のインドネシア国体前哨戦で優勝、同年のインドネシア国体決勝大会で銅メダル。そして2014年からインドネシア代表ナショナルチームの監督に復帰をし、2015年の東アジアカップで準優勝。

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