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"世界の野球"セルビア野球の挑戦と葛藤 バルカン・ベースボール事情あれこれ「セルビア高校野球代表、日本へ(経緯編)」

2018年1月25日

文・写真=辰巳 知行

 2012年と2016年の2度に渡り、セルビアの高校野球代表チームは日本遠征を行いました。実質の滞在期間はそれぞれ10日間ほど。関西各地の高校野球部と合同練習や親善試合を行い、日本の野球を体感し、多くの「学び」をセルビアへ持ち帰ることができました。今回から数回に渡り、日本における彼らの「武者修行の旅」についてお伝えいたします。


第1回遠征時、早稲田摂陵高校(大阪)のグラウンドにて。赤いユニフォームが高校セルビア代表の選手たち

 世界野球ソフトボール連盟(WBSC)ランキング(U-12からプロ部門まで、代表チームが出場する国際大会の結果をもとに算出される、国全体の野球の総合力を示すもの)によりますと、2018年1月現在、セルビアは第50位にランクインしています。同時期の日本サッカーのFIFAランキングが57位であることを考えると、セルビア野球はそれなりに強いのでは?とも思えてしまいますが、そんなことはございません。野球は普及している国としていない国に極端な差があり、そのあたりの事情がサッカーとは違っているため、野球競技人口300人程度のセルビアでも50位台に入ってしまうのです。とは言えそのセルビア野球も、欧州やバルカン地域のリーグ戦では近年、着実に順位を上げてきています(第4回セルビア野球と国際リーグ参照)。日本は過去4年間、同ランキング1位を維持していることもあり、セルビアの選手にとってのみならず、野球を愛する世界中の球児たちにとって、一度は訪れてみたい憧れの国となっているといっても過言ではないでしょう。その日本に、セルビア球児たちはやってきました。今回は、遠征が実現するまでの経緯についてご紹介いたします。


2018年1月時点での世界野球ソフトボール連盟(WBSC)ランキング。セルビアは50位にランクイン。出典:WBSCウェブサイト

「もうワンランク、セルビア野球全体のレベルを上げるためには、どうすればいいのだろう?」― 日本遠征からさかのぼること数年、セルビア野球連盟のスタッフと私は、ひとつの壁にぶつかっていました。ただの原っぱだったフィールドは野球場らしくなりましたし、クラブチームの数も5チームを超えました。しかしながら、技術的なレベルは思うように上がって行かず、競技人口もなかなか増えて行かない・・・。

 小学校へ普及活動に行ったり、スポーツフェアでイベントをしたり、公園でサッカーをしている子どもに声をかけて引き抜こうとしたり、メディアに取り上げてもらえるよう営業活動をしたり、できる限りのことはやっていました。が、やはり、伸びないのです。アメリカや日本のプロ野球でプレーするセルビア人選手が出れば、一気に競技人口は増えるかも知れません(ノバク・ジョコビッチの登場で、テニスがセルビアにおいて爆発的に普及したように)が、そのようなことは夢のまた夢。これがマイナー・スポーツの限界なのだろうか、などと頭の片隅で考えながら仕事をしている内に、私のセルビアでの勤務はタイムアップとなり、次の勤務地であるイラクへと向かうことになりました。

 セルビアで、野球が再び生活の一部となってしまった私は、イラクでも野球を探しました。勤務地である首都バグダッドには野球チームはあるようでしたが、当時のバグダッドは世界で最も危険な場所のひとつ。グリーンゾーン(高い塀で取り囲まれたバグダッド中心部のセキュリティーゾーン)の外で、地元の人たちと白球を追いかける!などと言えるような状況ではありませんでした。しかしながら、月に一度は出張で訪れるイラク北部の、主にクルド人が居住する地域は比較的治安が安定していて、そこでなら護衛付きで街に出ることができました。野球チームを探しましたが、残念ながら、なし。更には、この地域ではこれまで歴史上、野球がプレーされたことはないらしいということが分かってまいりました。ならば、まずチームを作ってしまおう、ということで声をかけ始めた結果、人が人を呼び、何となくチームらしいものができ始めました。休暇で戻った日本で2チーム分の道具を調達し、イラクへ持ち込み、定期的な練習を開始。投げたり、打ったり、ルールが分かり始めたりというタイミングで紅白戦を実施したところ、イラク・クルド地域における史上初の野球の試合ということで、地元の新聞が報じ、TVが取材にやってきました。このあたりのイラク・クルド地域の野球については、特別編としてまた追ってご紹介させていただきます。


イラク・クルド地域で史上初と思われる野球チームの結成を支援

 イラクで仕事と野球をしながらも、セルビアの野球関係者とはメールやSNSでやりとりを続けていました。私がSNSにアップするクルド地域の野球の様子を見て、「セルビアの20年前を見ているようだ」と、同地域における野球の芽生えを喜んでいるようでした。「セルビアからコーチに行こうか?」などという冗談に、「防弾チョッキはこっちで用意しとくで」などと返していたある日、セルビアのコーチがイラクに来るのではなく、セルビアのプレーヤーたちが日本へ行くとどうなるのだろう?という思いつきがふと頭をよぎりました。今から考えるととてもシンプルなことなのですが、当時は考えたことすらありませんでした。セルビアを離れたからこそ浮かんだ思いつきかも知れません。

 セルビア野球にとってなかなか越えられない壁。技術のレベルアップと競技人口の増加。前者(強くなる)が後者(やりたいと思う人が増える)を促すと考えると、野球が強くなるためのひとつの起爆剤として、セルビアのプレーヤーたちが日本遠征を行い、日本の野球を体感して持ち帰る、というのはどうだろう。目指すべき目標が高くなれば、セルビアにいてもそこを目指して練習や試合に取り組めるはずだ。セルビア野球の将来に大きな影響を及ぼすイベントになるかも知れない。しかし、日本行きにはお金がかかりすぎる。セルビアの当時の平均月収は4万円程度。この当たり前の事実が、日本行きを想像すらさせない原因だったと言える。しかし、日本で学べることは計り知れないに違いないという妄想は膨らむばかり。とは言え、航空賃は平均月収の3倍、宿泊費も安くはないだろう。食費、移動費もかかる・・・でも日本での野球体験はバルカンや欧州ではまず得られないもの・・・と、考えは巡りに巡りました。

 とりあえず誰かに相談してみようと思い、日本にいる弟にメールをしました。先立つものはさて置き、日本にやってきた場合の宿泊場所についてどのような可能性があるかを相談したところ、彼の経営する高齢者のためのデイサービスセンターを使ってはどうかという有り難い提案を受けました。昼間は利用者の方々で一杯ながら、夜の宿泊だけなら大人数でも大丈夫とのこと。宿泊場所の目途が立ち、この部分の費用を抑えることができそうな見通しが立った途端、あとは何とかなるのではないだろうか、という根拠のない確信のようなものが芽生え、細かいことはさて置き、ダメもとで準備を開始することにしました。

 まずは、セルビア野球連盟にアイデアを打診したところ、もちろん大賛成。遠征メンバーは、セルビアの野球の将来を考えた場合、のびしろの少ない大人や、事の重大さがあまりよく分からないであろう少年ではなく、高校生レベルが妥当だということになり、セルビア側は早速、メンバーの選出に取りかかりました。


セルビア野球連盟の中心人物、左がゾニッチ氏、右がブチェビッチ氏、中央が179cmあるはずの筆者

 高校代表の来日となると、対戦相手も高校生であることが理想的ですので、日本高野連に状況を説明し、国際親善試合の実施許可を得ました。果たして、対戦してくれる高校はあるのだろうか?という不安の中、まずは自分の母校に声をかけてみたところ、喜んで受けてくれることに。続いて、野球関連の友人に、彼らの母校にも声をかけてもらったところ、概ねよい返事が届き、日程はどんどん埋まってゆきました。更には、話を耳にしたいくつかの高校から申し出をいただくほどに。セルビア側のみならず日本の高校にとっても、国際試合はまたとない貴重な機会なのだということを、そのときに初めて認識しました。

 私はイラクにいましたので、日本にいる弟に航空券の購入を依頼し、支払いをしようとすると、不要であるとの返事。国際交流促進という趣旨で、NPO法人として支援したいとの申し出を受け、セルビア側も驚きとともに快諾してくれました。Eチケットを入手したセルビア側はこのとき初めて、話は冗談ではなかったということを認識したようでした。因みに、第2回遠征の際は、セルビア側が2年間に渡って積み立てを行い、航空券は自分たちで購入。日本における食費や移動費等は、日本側がファンドレイジング等で協力を募り、必要経費を捻出。本当に多くの方々に暖かいご支援、ご協力をいただきました。更には、訪日中に直接ご寄附をくださった方々や、新聞を見て食事にご招待くださった方等も含め、皆様に改めて深く感謝申し上げます。現在、彼らは第3回遠征のための積み立てを行っており、次回からは必要経費を全額自分たちで負担する予定です。


ファンドレイジングサイト(既に終了していますのでご参考まで)へはこちらのリンクから
https://readyfor.jp/projects/8880

 2012年9月28日、高校野球セルビア代表は関西国際空港に無事上陸。イラクから一足先に帰国していた私も合流し、実質10日間に渡って合同練習や国際親善試合を日本の高校と実施しました。連日の練習と試合を通じて、彼らが多くの学びと気づきを得ていることは一目瞭然でした。シートノックでは日本人選手のプレーを見様見まねでコピーしようとし、ティーバッティングなどでも積極的にスウィングを学んでいました。多様な練習メニュー、限られた時間とスペースにおける有効な練習方法、グラウンド整備の仕方等、セルビアでは見たこともないことに次々と遭遇し、驚きを隠せない様子でした。試合においても、基礎技術の差やセットプレー等によって、点差がどんどん開いてゆくことを目の当たりにし、野球というスポーツの奥深さを改めて実感したようでした。また、京セラドームでプロ野球観戦をした彼らは、本国では超がつくマイナー・スポーツである野球が、これだけ多くの人間を魅了する可能性のあるスポーツであることを、体で理解したようでした。


第一回遠征で関西国際空港に到着した高校野球セルビア代表の選手たち

セルビア代表の日本での武者修行に快くご協力くださった高校は以下の通りです。

第1回遠征
関西学院(兵庫)、早稲田摂陵(大阪)、北野(大阪)、淀商業(大阪)、京都両洋(京都、女子野球部)
第2回遠征
北野(大阪)、高取国際(奈良)、松阪工業(三重)、早稲田摂陵(大阪)、西京(京都)

次回は、第1回遠征時の様子について、詳しくお伝えする予定です。

著者プロフィール
辰巳 知行(たつみ ともゆき)
1968年10月18日生まれ
バルカン地域に勤務していた2000年代、誕生間もないセルビアの野球と出会う。以来、コーチ兼選手として、同国における野球の発展と普及に取り組む。セルビア高校代表チームの日本遠征を企画・実施する等現在も協力を続けており、いつの日か、セルビア代表が侍ジャパンに挑戦できる日が来ることを夢見ている。大阪府立北野高校野球部99期主将。

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