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子どもたちの“努力の素質”を育て、人としての土台を創る/井端弘和監督インタビュー

2025年10月14日

記事出典:教育出版『Educo』68号/2025年
教育出版 教育情報誌 Educo

野球人生の始まり

「自分が好きで始めたことなんだから、簡単に辞めてはいけないよ」小学1年生で地元の軟式少年野球団に入ったのですが、両親とチームの監督からまったく同じことを言われました。子ども心にその言葉が心に焼きついたのでしょうね。練習がキツいとかそんなことぐらいでは「辞めたい」とは思わなかったし、そんな選択肢がそもそも頭に浮かびませんでした。これまで野球を続けてこられたのは、野球が好きなのはもちろんですが、自分の根っこにあの言葉があったからだと思います。

運命を変えた故・野村克也監督からの一言

 毎日のように白球を追う子ども時代を過ごし、運動神経もそこそこよかったので、6年生に上がる頃にはエースで4番を打つようになっていました。しかし、シニアになると僕よりうまい人などゴロゴロ出てくる。特に同じ地区にはあの野村克也監督が率いる「港東ムース」という強豪がいて、僕らのチームはいつもコテンパンに負けていました。レベルが違いすぎてたった1点すら取れない。せめて一矢報いたいと思い、その翌年は粘ってなんとか1点返して「1点取れたぞ。やった!」と喜んでいる。そんなありさまでした。しかしある時、野村監督が「うちに練習しに来ないか?」と声をかけてくれたのです。他にもすごい選手はいっぱいいたので「なぜ僕?」と思いましたが、「港東ムース」に負けて全国大会行きを逃しているわけですからけっこう暇で、ありがたく何度か練習に参加させていただきました。
 ほどなくして野村さんはヤクルトスワローズの監督に就任され、お会いする機会はほぼなくなったものの、その後も折につけ気にかけてくださいました。進路について悩んでいた中学3年生の頃も電話で相談に乗ってくれまして、その話の終わりに何の前ぶれもなく「高校ではピッチャーはやるな、ショート一本でいけ」と。
「あの野村さんがここまで断言してくれたのだから」と、進学した堀越高校ではショートにコンバートしました。野村さんとの出会いがなければ、〝ショート井端〟は誕生していなかったかもしれません。野村さんが僕の内野プレーを見る機会はほとんどなかったはずですが、体格や足の速さ、粘ろうとする姿勢など、わずかな時間で僕のよいところを見つけ、言葉をかけてくれたのではないでしょうか? 今となっては野村さんの真意はわかりませんが、侍ジャパンU-12、U-15、また、主宰する野球塾で未来ある子どもたちを指導する立場を経験してからは、野村さんのように子どもたち一人一人を〝ちゃんと見る〟ことの大切さを身に染みて感じています。

社会人野球から少年野球まで幅広く指導する理由

 プロおよび社会人野球から少年野球の指導へとフィールドを広げたのは、幅広い世代の野球シーンを知りたかったからです。2015年に現役を引退し、巨人軍の内野守備・走塁コーチをしていた頃、変なクセがついていてうまく体を使えていない選手がいるのを見て「あれ?」と思ったのが始まりでした。しかも一度変なクセがついてしまうと直すのがすごく難しくて、少し目を離すとすぐ元の状態に戻ってしまう。その後、2020年に臨時コーチとして就任したNTT東日本硬式野球部でも同じ現象に突き当たり、「一体、いつ、どこでこうなってしまったのだろう?」と疑問を抱いたのです。そこで、野球を始めだす頃、つまり小学生時代まで戻ってみようと。
 少年野球の現場で子どもたちを見ていると、プレー中に迫力のようなものを醸す子がいることに気づきました。「この子は伸びるだろうな」と直感する一方で「体ができあがっているわけでもなく、パワーもないのになぜ?」と不思議でもありました。が、よくよく観察してみると、そういう子はきまって体の使い方の基本が身についている。特に無意識下でのとっさの動きにそれがよく出ていて、こちらがハッとするような迫力あるプレーにつながっていたのです。逆に、基本ができておらず力に頼っていると、ポテンシャルのわりには上達スピードが遅いし、故障もしやすくなってしまいます。初期の段階での基礎、やはり土台が重要なのだと改めて実感しました。

偶然のホームランより10を20にする努力が大切

 子どもたちを見ていると「この一週間サボっていたな」とか「練習してきたな」というのが一目瞭然です。僕はどんな小さなことでも努力の跡が見えたときには「ちゃんとやってきたね」「ここができているよ」と声がけするようにしていて、サボっていたけど、たまたまよい当たりが出たときなどはさほど評価をしません。どんなに才能がある選手でもずっと順風満帆なんてことはありえない。伸び悩んだり不調が続いたり、うまくいかない時期が必ず訪れるんです。しかし、翌日にすべき練習をイメージしながら、小さな努力を継続できる子はそんな苦しい時期を乗り越えてゆけます。ホームランを打ったとかレギュラーになったとか、つい結果のほうに目がいきがちなのですが、プロを目ざす子どもばかりではありませんし、10を20に、20を30にするための努力を続けてゆける、そんな〝人間としての土台〟も育ててあげたいと思います。
 僕は野球ですが、学校の先生がたは子どもたちの〝勉強の努力の跡〟がわかるのだろうと思います。テストの点数だけではなく、その努力に目を向けてあげてほしいですね。

子ども時代は得意なことを見つける時期

 勉強でいうと、僕は全教科がまんべんなくできる必要はなく、苦手な科目があっていいと思っています。不得意を得意に変えてあげることも大事かもしれませんが、子ども時代は自分が得意なことや、好きなことを見つける時期ではないでしょうか? プロ野球で活躍している選手の中にも圧倒的な打撃力をもつ反面、守備はからっきしというような両極端なタイプがいます。打てるものだから守備に重きをおかずともプロになれたのでしょうが、勝負時でエラーをしたり、ファンにがっかりされたりしながら、一つのエラーが恥ずかしくなって「うまくなりたい」と思う瞬間が訪れるので す。そんな選手が遅まきながらも守備の練習に取り組み、苦手な守備が普通のレベルになったら非常に手ごわい選手に化けてゆく。苦手なことは子どもたちが自ら克服したくなった時、例えば「社会と国語は得意だけど、算数もがんばりたいな」と思った時に取り組めばいい。自分から「苦手を克服したい」と思うのと、人から指摘されて取り組むのとでは習得するスピードがまるで違いますから、あまり欠点に目を向けすぎず、まずは子どもたちの個性や得意なことを伸ばすほうを優先させてもよいのではないでしょうか。これからの時代は、自分が好きなことや強みを知っているほうが生きやすいし、そのほうがスケールの大きな人間に育ってゆけるのではないかと思います。

次なる目標へ向けて

 侍ジャパントップチーム監督として、2026年3月に開幕するWBCで結果を残すことはもちろん最優先事項ですが、50代のうちの目標の一つに高校野球の監督に挑戦したいという気持ちがあります。高校時代はたったの3年間。その中で野球に取り組める時間は2年3か月間ほど。彼らの青春はとても短いのです。だからこそ無駄なことは極力省き、選手たちが効率よく上達し、成長を日々実感できるような練習をさせてあげたい。
 そのために、指導者として学ぶべきことはまだまだあります。教えるということに関しては終わりというものがないのかもしれません。子どもたちの〝人としての土台を創る仕事〟を担われている、小・中学校の先生がたは本当に大変だとは思いますが、できる限り子どもたち一人一人を見て、声をかけてあげてほしいですね。先生がたにかけていただいた一言をいつまでも忘れない、そんな子どもはたくさんいると思います。

PROFILE

 侍ジャパントップチーム監督。侍ジャパンU-15代表監督も兼任。2022年から2年間は、侍ジャパンU-12の監督も務めている。堀越高等学校から亜細亜大学を経て1997年に中日ドラゴンズに入団。荒木雅博内野手との鉄壁の二遊間コンビは「アライバコンビ」の愛称でファンに親しまれた。2013年には第3回WBC日本代表に選出。WBC東京ラウンドでMVP、大会ベストナインを受賞。2014年、読売ジャイアンツに移籍し翌年に現役を引退。ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞7回受賞。近年は少年野球にも指導の幅を広げ、野球の普及振興に力を注ぐ。

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