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"世界の野球"インドネシア野球「日本プロ野球名球会野球教室」

2016年6月7日

文・写真=野中寿人

 5月14日と15日の両日、インドネシアのバリ島にてプロ野球名球会による野球教室が開催されました。プロ野球名球会野球教室がインドネシアで開催されたのは初めてであり、インドネシア代表ナショナルチーム所属の選手たちを含む、約100名の選手たちがバリ島や他の島から参加しました。
 バリ島でのプロ野球名球会野球教室には、プロ野球名球会の会員でおられる山田久志さん(元阪急ブレーブス)、山崎裕之さん(元ロッテオリオンズ、西武ライオンズ)がバリ島にご来訪され、15歳から32歳のインドシア人選手へ野球の指導を施して頂きました。
 日本のプロ野球を代表する有名な方々から指導を受けられることは、国内の選手たちにとっては、非常に貴重な体験であり、一生に一度の事と言っても過言ではありません。選手個々の思考と技巧のレベルは異なりますが、それぞれに、野球向上における、疑問点や問題点のヒントを求めて、この野球教室に臨んだに違いありません。

 初日の野球教室は、山田さんはバッテリー、山崎さんが野手、と分担。翌日は、紅白戦を開催して各要所でのアドバイスと総評、そして、選手たちからの質疑に対する応答をして頂きました。
 また私からは、アジア野球途上諸国における、向上と発展の問題点について、お話をさせて頂きました。その中で、継続的なプロ野球名球会野球教室の開催、そして、逆に、1週間から10日の短期日程における日本の高校などでの野球修行など、選手と指導者を日本に招聘滞在させての、育成を嘆願させて頂きました。
 この「嘆願」は、素晴らしい指導者が日本から渡航されて現地で指導される事に対して、その受けた教えを、現地で長期の持続と維持をすることが非常に困難であることから意図したものです。野球教室で教えを受けた後、選手が自分の住む地方に戻り、その地方に有能な指導者がいない現状況下においては、せっかく受けた教えの、大きな意味が薄れてしまいます。
 特にインドネシアという広大な面積から成り立つ国ではなおさらのことで、地方への浸透は困難です。更に、日本の高校での野球修行につきましては、選手育成という部分で、高校の野球指導がアジア野球途上諸国の選手には、適しているという見解からになります。

 また、今回の日本プロ野球名球会野球教室においては、日本プロ野球名球会様へご無理なご提案を御願いさせて頂き、野球教室で使用する金属バット、硬式野球ボール、簡易ネットを、野球教室に参加をした選手たちへ、ご寄付をして頂くという前提にて、日本より持参して頂きました。確かに、アジア野球途上国の各国には、我々の様な日本人指導者が現地におりますが、通常は、居ないのがその国の本当の野球実情であるがゆえに、この部分を含めた形にて、日本プロ野球名球会様へお願いをさせて頂いた次第です。
 インドネシアに限らず、どの国でも、野球の発展と向上に際する問題点は同じです。そして、各国で指導をしている数人の者だけでは、何十年かかっても、真の向上は厳しいものがあります。日本プロ野球名球会様をはじめとし、他の野球各組織、各団体からのお力添えが必要です。
 また、日本の野球関係者の方々が、野球というスポーツの、オリンピックの競技種目への復活を、本当に望むのであれば、上の部分だけで物事を捉えるのではなく、足元/裾野の向上や強化が最前提になるのではないでしょうか?すなわち、アジアでの野球人口、世界での野球人口の増大・発展が急務であるという事です。
 この部分の欠如している現状では、オリンピックという競技大会は、アジアの4強、いや3強だけで出場権を争っているに過ぎません。従って、アジア野球途上諸国から見て、オリンピックとは、次元の異なる、他人様の競技大会としか映らないのです。この様な意識を改善して行かなくては野球というスポーツが、ごく1部の国でしか行われないスポーツになってしまいます。

 今回のバリ島、プロ野球名球会野球教室の質疑応答の中で、“パワーとスピードを要請するのはどうしたら良いのでしょうか?”というインドネシア人選手からの質問に対して、山田久志さんからの回答は、“まず沢山食べて、鍛えて、身体を作りなさい、そして、正しいストレッチングをしなさい” このお答えが非常に印象的に残っています。来年、また、インドネシアで、プロ野球名球会野球教室が開催されることを心から期待致しております。

日本人監督の挑戦
著者プロフィール
野中 寿人(のなか かずと)
1961年6月6日生。日大三高野球部在学3年の夏に西東京代表にて全国高等学校野球選手権大会に出場。
その後、日本大学体育会硬式野球部へ進学。日本大学では1年の秋から体調を壊し2年間の休部をし、現役野球人生を終える。大学卒業後は、フィリピン、サイパンなどで仕事をし2001年にインドネシアのバリ島へ移住。2004年からバリ島の子供達に野球を教え始め2005年にリトルリーグを発足。2006年にはバリ州代表監督に就任、また、クラブチームを発足。2007年にはインドネシア代表ナショナルチームの監督に就任。2007年のSEAゲームスで銅メダル、2009年のアジアカップで優勝、同年のアジア選手権大会へ出場。その後、インドネシア代表ナショナルチームの監督を辞任し、地方州底上げの為に、東ジャワ州代表監督に就任。2011年のインドネシア国体予選で準優勝、2012年のインドネシア国体前哨戦で優勝、同年のインドネシア国体決勝大会で銅メダル。そして2014年からインドネシア代表ナショナルチームの監督に復帰をし、2015年の東アジアカップで準優勝。

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