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"世界の野球"日本人監督の挑戦 「野球をどの様にして国内の学校に広めるか」

2015年10月16日

文・写真=野中寿人

 国内の各学校に野球を広めていくことは、その国の野球の活性化にとって絶対に必要なことです。特に2018年のアジア競技大会が控えているインドネシアでは、そのタイミング的なことからも好機です。しかし、野球が人生設計における選択肢に入ってこない現状のインドネシアにおいて、どの様にして各学校に野球を取りいれてもらうのかが大きな障害となってきます。

 私は、この打開策のキーワードは、少なくともインドネシアの歴史の中に存在しているものと判断しています。ご存知の方も多いと思いますが、インドネシアは350年強もの長い期間、オランダに統治されていた歴史的背景があります。この長期に渡る統治が、今日のインドネシア国民の性格上の基礎に大きく根を張っているのも事実です。更に、終戦後、同じ歳月を重ねて来た日本と比べて、経済成長を見てもおわかりのように、統治された国と、統治されなかった国とでの差が歴然とあります。さらに、加えてのキーワードとして、現在のインドネシアは麻薬や非行、犯罪も絶えず、年々、その増加をたどっています。

 従って、インドネシアで野球を広めるにあたり、単なる「スポーツとしての野球」ではなく、人間形成を全面に押し出した「教育としての野球」という観点で、各学校機関へ広めていかなくては、野球の広まりは安易では無いと考えます。「気質を呼び戻す人間教育」がインドネシアでは必要なのです。

 この1番のモデルケースは日本の高校野球になるでしょう。試合の中に国民は国や国民としての気質を見出だし、また、気質を追う。更には、破損した気質や、失われそうな気質を再度確認して自身から集団への気質修復を促す。この様な基本的な意識を現状のインドネシアの中に当て込めた「教育の野球」を進めて行くということです。

日本人監督の挑戦
著者プロフィール
野中 寿人(のなか かずと)
1961年6月6日生。日大三高野球部在学3年の夏に西東京代表にて全国高等学校野球選手権大会に出場。
その後、日本大学体育会硬式野球部へ進学。日本大学では1年の秋から体調を壊し2年間の休部をし、現役野球人生を終える。大学卒業後は、フィリピン、サイパンなどで仕事をし2001年にインドネシアのバリ島へ移住。2004年からバリ島の子供達に野球を教え始め2005年にリトルリーグを発足。2006年にはバリ州代表監督に就任、また、クラブチームを発足。2007年にはインドネシア代表ナショナルチームの監督に就任。2007年のSEAゲームスで銅メダル、2009年のアジアカップで優勝、同年のアジア選手権大会へ出場。その後、インドネシア代表ナショナルチームの監督を辞任し、地方州底上げの為に、東ジャワ州代表監督に就任。2011年のインドネシア国体予選で準優勝、2012年のインドネシア国体前哨戦で優勝、同年のインドネシア国体決勝大会で銅メダル。そして2014年からインドネシア代表ナショナルチームの監督に復帰をし、2015年の東アジアカップで準優勝。

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