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"世界の野球"セルビア野球の挑戦と葛藤 バルカン・ベースボール事情あれこれ「野球の伝播」

2017年5月19日

文=辰巳 知行

 日本では国民的スポーツの野球ですが、多くの国々では、限られた人々の間でひっそりとプレーされているマイナースポーツであるというのが世界の現状です。バルカン半島に至っては、未だに野球チームすらない国もある程です。野球がある国とない国、その差はどこから生まれるのでしょうか。どのようなきっかけで野球は伝わり、プレーされ始めるのでしょうか。今回は、セルビアに野球が「伝わった」ときのお話です。

 セルビア野球連盟によると、同国で野球がプレーされ始めたのは1980年代後半頃とのこと。当時セルビアはユーゴスラビアの一部でしたが、「パルチザン」という国営総合スポーツクラブに野球が加わり、これが(ユーゴスラビアの後継国)セルビアにおける初の野球チームの誕生となりました。
 冷戦が終わりを告げるタイミングであったことを考えると、「壁」の崩壊が野球の伝播を後押しした、とも言えるかも知れませんが、その具体的な経緯は分かっていないようです。少し遅れて民間でも萌芽し始め、90年代初頭にはキングス、ドッグスという2チームが誕生し、これら3チームによるユーゴスラビア国内リーグ(現セルビア国内リーグ)が93年に発足するに至ります。

 キングスの主要メンバーであるサーシャとミランの兄弟は、親の仕事の関係で、幼少期を東京で過ごしました。サーシャは巨人の、ミランは西武の大ファンでしたが、帰国すると野球のやの字もない母国。それならば自分たちで作るしかないと一念発起し、道具の入手も困難な中、キングスを設立します。


設立当時のキングス 下段左から2人目がサーシャ、上段左端がミラン

 一方ドッグスの方は、冷戦の終結に伴い旧ユーゴ紛争が激化する中、クロアチアから避難してきたセルビア人であるニコラによって設立されました。クロアチアで野球をやっていたニコラでしたが、治安状況の悪化を受け、野球道具を片手に難民としてベオグラードへやってきました。


設立当時のドッグス 上段中央がニコラ

 アメリカで野球が現在に近い形になったのが1840年代、日本に野球が伝わったのが1870年代とされていますが、それから約120年の時を経て、野球はセルビアへこのような形で伝播し、少しずつ根を張り始めているのです。

 2017年現在、セルビアの野球人口は、大人と子どもを合わせて300人程度。野球場はひとつしかなく、日本の球場と比べると「野球が何とかできる場所」というレベルかも知れません。野球用具店もないため、道具はイタリア等から近隣国を経由して手に入れています。セルビア野球連盟は勧誘を強化したり、小学校で体験イベントを開催したり、メディアへの露出を図ったりしながら野球の普及に努めていますが、セルビアの国民的スポーツ(バスケットボール、バレーボール、サッカー等)に分け入ってゆくことは、なかなか容易ではありません。
 ニコラによると、「野球をやろうとする人は、大人も子どもも、人気スポーツであまり活躍できない人がほとんど」だという。マイナースポーツの抱える悩みは、どの国も同じなのかも知れません。

 次回はセルビア野球の現在について、更に詳しくお伝えして参ります。


1999年、NATOによる空爆の年にも野球はプレーされていた

著者プロフィール
辰巳 知行(たつみ ともゆき)
1968年10月18日生まれ
バルカン地域に勤務していた2000年代、誕生間もないセルビアの野球と出会う。以来、コーチ兼選手として、同国における野球の発展と普及に取り組む。セルビア高校代表チームの日本遠征を企画・実施する等現在も協力を続けており、いつの日か、セルビア代表が侍ジャパンに挑戦できる日が来ることを夢見ている。大阪府立北野高校野球部99期主将。

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映画「あの日、侍がいたグラウンド」

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