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世界の野球

"世界の野球"「微笑みの国タイ王国の野球~前編~」

2016年3月15日

写真・文=色川冬馬

 今回で3回目のタイ野球訪問。国際大会等で同行させて頂いた回数を加えれば5回目となる。実は、高校時代からタイ野球との関わりが強く、当時の野球部監督・佐藤ZENは元タイ代表監督だった。その縁もあり、後のタイ代表選手とも高校生活を共に過ごしていた。タイ・アマチュア野球連盟(ABAT)発足から24年(1992年設立)、過去にはアジア4強(日本、韓国、台湾、中国)に次いで、アジア野球を牽引するフィリピンと競い合ってきたタイ野球。しかし、最近ではその名前をほとんど聞かなくなった。2012年に行われたWBC予選、アジア4強に次いでフィリピン・タイが出場していたが、現在行われているWBC予選でタイは外れている(タイに代わりパキスタンの出場が決まった)。前回の東アジアカップでも、まさかの5位という過去ワーストの結果を記録した。タイ野球は現在、何を目標に、今後どこへ向かっていくのだろうか。タイ野球の歩みを追った。

 今回、日本人で唯一タイ野球23年の苦楽の歴史を共に歩んできた、青山功氏に胸の内を明かしてもらった。私とタイ野球の関係は、青山氏とのお付き合いの歴史でもあり、今年で10年目になる。今では、タイ野球の父とも称される青山氏、話を聞き進める中で、私は日本男児・青山氏の生き様に感銘を受けた。

10代続くタイ代表監督

 これまで、10人中8人の日本人がタイ代表監督を務めてきた。タイ野球の歴史は、日本人と共に歩んできたと言っても過言ではない。また、これ程までに日本人指導者の出入りが多い国は、タイが最多なのではないかと思う。著名な方から青年海外協力隊として深く関わった日本人が、タイ野球を牽引してきた。青山氏は、現地在住の日本人としてタイ野球に精通し、指導者としてだけでなく、時にコーディネーターとしてバックアップを続けてきた。タイ代表チーム創設時の選手の発掘や代表チームの練習試合の為に日本人駐在員を集めジャパニーズベースボールクラブ(JBC)を立ち上げるなど、現地の限られた資源であらゆる挑戦を続けてきた。

 1998年には、バンコクで行われたアジア大会において宿敵フィリピンを倒し、タイ野球の成長は順調かにみえた。翌1999年に韓国で行われたシドニーオリンピック予選では、初めてタイ人を代表監督に起用し、青山氏はサポートの為コーチに回った。しかし、韓国などのアジア強豪国に大敗し、実力の差を見せつけられる形となった。この時、既にオリンピック予選出場という目標を達成し「先進国相手には負けて当たり前」といった「一国の代表」としての資質に欠けるタイ人選手の言動・行動に、青山氏は警鐘を鳴らしていた。大会後、タイ野球の未来を案じた青山氏は、タイ野球の在り方を抜本的に作りなおす為にタイ・アマチュア野球連盟へ新たな育成システム構築を嘆願した。各世代にタイ代表選手を振り分け、育成に力を入れ、タイ野球の底上げを提案したのだ。青山氏も一番下の世代U−10を担当し、A代表ではなく「育成」に力を入れるようになった。そして、2001年、青山氏は遂に念願である「バンコクサンダース(少年野球チーム)」を立ち上げ、新たなスタートをきった。前途多難を乗り越え、野球不毛の地から革新的な成長を遂げた最初の10年だった。(後編に続く)

タイ野球の歩み
著者プロフィール
色川冬馬(いろかわ とうま)
2015年2月にイスラマバード(パキスタン)で行われた西アジア野球選手権にイラン野球代表監督として、チームを2位へと導く。同大会後、パキスタン代表監督に就任。2015年9月に台湾で行われた「第27回 BFA アジア選手権」では、監督としてパキスタン代表を率いた。

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映画「あの日、侍がいたグラウンド」

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