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世界の野球

"世界の野球"「元L.A.ドジャース・エリック・ガニエ氏監督就任で強化図るフランス」

2015年2月24日

文=横尾弘一

 1990年代中盤、国際大会で見るフランス代表の野球は、お世辞にも世界のトップチームが集まる大会を戦うレベルとは言えなかった。キューバと対戦した時、フランスの遊撃手はやや深めのポジションにいたのだが、キューバの打者が鋭い打球を放つ度に後退りし、気づいた時には左中間まで下がっているという笑い話のような光景が見られた。1994年にニカラグアで開催された第32回アマチュア野球世界選手権大会に出場したが、予選リーグ7戦全敗はもちろん、計10得点に対して80失点と、国際大会で勝利を手にする日は来るのだろうかと思えた。

 ところが、それから20年後の昨年、日本の強い働きかけもあって第1回フランス国際野球大会が開催され、ホストのフランスに加えてオランダ、ベルギー、日本からは都市対抗王者の西濃運輸が参加した。下馬評はオランダと西濃運輸による決勝だったが、フランスはリーグ戦で西濃運輸に10-5で勝利し、見事に決勝へ駒を進めたのである。フランスの野球がここまで飛躍的な進化を遂げた背景には、1985年に日本一となった時の阪神監督で、フランス代表監督も務めた吉田義男氏の存在がある。詳しくは後述する。

 フランスに野球が伝えられたのは、第一次世界大戦中だと言われている。大戦中にフランスへやって来たアメリカ軍の中に、メジャー・リーグ選手が何人もおり、彼らが駐留中にフランス人に野球を教えたというのだ。大戦が終結へ向かう1918年4月19日、アメリカ人のフランク・B・エリスを会長にしてパリ野球協会が設立され、アメリカ軍から供給された用具でトーナメント大会が開催される。それが発展することはなかったが、1924年にはシカゴ・ホワイトソックスとニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)がフランスを訪れてエキシビション・ゲームを行なう。この試合に多くの観客が熱狂したのを見て、フランス野球協会が創設されたのだという。1926年には現在のトップリーグ、ディビジョン1が創設され、フランスにとって初めての国際試合は、1929年にバルセロナでスペイン代表を相手に行なわれたという記録がある。この試合に10-6で勝ち、国内の大会も定期的に開催されているが、フランスに野球が根づくことはなかった。

 欧州選手権でも上位に進出することのなかったフランスが再び野球に注目したのは、1984年のロサンゼルス・オリンピックで野球が公開競技に採用され、正式競技を目指して各大陸の連盟が野球の普及に力を入れたのがきっかけだ。そこに吉田義男氏が登場する。知人からの誘いで1988年にフランスへ足を運んだ吉田氏は、フランス野球の現状を視察。翌1989年に、パリのクラブチームを指導しながらフランス代表の現状を把握し、前任者の退任を受けて監督に就任する。目標は大きく、1992年のバルセロナ・オリンピックまでは時間がないにしても、次のアトランタ・オリンピックにはヨーロッパ代表として出場できるよう強化すること。ここで吉田氏の指導が素晴らしかったのは、勝つための技術や戦術の方法論を教えるのと同時に、野球とはどういう競技なのかを理解させたことだ。

 例えばサッカーなら、全選手が自分でゴールを決めたいと思えば、ひたすらドリブルで相手選手を抜くしかない。けれど、ゴールを狙いやすい位置にいる選手にパスを出せば、自分が得点できなくてもチームで得点を奪う可能性は高くなる。同じように野球なら、走者がひとつでも先の塁にいたほうが得点する確率は高くなる。そのために、自分がアウトになっても走者を進められる送りバントや進塁打が必要になる。そうした自己犠牲の精神を根気強く説き、野球におけるチームプレーとは何かを理解させる。守備側になれば、相手にそれをさせないように守り、四球や失策で自滅しないことが大切なのだとわかる。そうやって、吉田氏はただ投げて打ってというフランスの選手たちに、勝つためにはどうすればいいのかを考えさせる。それが連係プレーへの興味を掻き立て、次第に野球らしくなっていく。

 とはいえ、急速にレベルアップするのも至難の業だ。実際、吉田監督が6年目を迎え、アトランタ・オリンピックのヨーロッパ大陸予選を翌年に控えた1994年の第32回アマチュア野球世界選手権大会でさえ、7試合で10得点、80失点だったのだから。果たして、遥か先を行くイタリアやオランダに短期間で追いつくことはできず、オリンピックの舞台に立つという大目標は叶わなかった。1995年に吉田監督は勇退したが、それでフランス野球の火が消えてしまうこともなかった。吉田氏は帰国後もフランスと日本の架け橋となり、1996年にはフランス代表の中心選手だったアルノ・フォー外野手の社会人ミキハウス入りに尽力する。そうして1999年の欧州選手権で、フランスは初めて3位となった。吉田氏の撒いた種は、少しずつ実をつけようとしていたのだ。

 しかし、国際大会へプロ選手の参加が容認されたことで、フランスは再びイタリアやオランダに大きく水をあけられてしまう。それどころか、メジャー・リーグ機構とも連携を図るスペインやドイツにも圧倒され、ヨーロッパの中でも第二集団についていくのがやっとという苦しい時代を過ごす。ただ、そうした状況でも、ディビジョン1でプレーする選手たちは前向きだ。昨年のヨーロピアン・カップで、今回の欧州代表メンバーにも入っているオーウェン・オーザニッチ投手が所属する強豪ルーウォン76ハスキーズの試合を取材すると、萩原健司という選手がいた。父親は著名な柔道家の萩原信久氏で、フランス人の母親との間に生まれたハーフだという。少年時代に地元のクラブで野球をはじめ、16歳でルーウォンへ入団。一般企業に勤務しながら、休日や休暇も使ってグラウンドに来るという。
「野球は難しいけれど、チームプレーが上手くできた時は最高に楽しい。ただ、長くプレーを続けている僕にとっても、趣味のひとつなんだ。ヨーロッパ、特にフランスでは、クラブからサラリーを貰ってプレーできるのは、アメリカやベネズエラからやって来るプロ経験者に限られている。だから、野球を職業にしようという気持ちはないね。あと何年プレーできるかわからないけれど、やるからには勝利を目指して頑張りたい」

 それがディビジョン1でプレーするフランス人選手の現状のようだが、代表チームは2012年WBC予選にもエントリーするなど、たゆまぬ強化を続けている。昨年9月に開催された第1回フランス国際野球大会も、代表強化にかけるフランスの意気込みの強さとみていい。この大会は『吉田チャレンジ』と名づけられ、ディビジョン1の強豪セナール・テンプライアーズの本拠地としてパリ南部に建設された球場では、大きな拍手の中で吉田義男氏が始球式を行なった。そして、前述したように、フランス代表は西濃運輸を破って準優勝を果たしたのだ。WBC予選も経験した右腕レオネル・セスペデス、セカンドやサードを守ってリードオフを担うマキシム・ラフィーバー、キューバ移民で強肩が自慢のアンディ・パズ捕手に加え、オランダ領アンチル出身でミネソタ・ツインズ傘下でもプレーした大砲レネ・ルーベルが加わったことで、なかなかのチーム力になったという印象だ。西濃運輸戦で2本塁打を放ったルーベルは、直後の欧州選手権でも8試合に出場し、打率.407、3本塁打9打点と大暴れした。そして、チームを率いるのがエリック・ガニエ監督だ。ロサンゼルス・ドジャースの守護神として、2003年に55セーブでサイ・ヤング賞に輝いたガニエは、カナダ東部ケベック州出身のフランス系カナダ人。選手とのコミュニケーションも円滑で、吉田氏以来のビッグネーム指揮官に選手たちのモチベーションも高まっている。また、代表チームでコーチを務める吉田の教え子アルノ・フォーは、全力疾走や堅実なチームプレーに「吉田さんの教えを守っている」と胸を張った。この大会後に出場した欧州選手権では、ルーベルやラフィーバーが目立つ活躍を見せたものの6位だった。フランス国際野球大会を継続開催し、どこまで世界のレベルに近づけるか見守りたい。

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