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世界の野球

"世界の野球"「クラブチームを中心に発展 プロリーグも発足したイタリア」

2015年2月17日

文=横尾弘一

 日本の野球少年たちが、プロが投げる140キロの速球に胸を躍らせていた頃、「世界一の剛速球」と評されていたキューバのエース、ブラウディリオ・ビネンは、日本の24歳の打者に対して絶対に打たせまいと闘争心を燃やし、あろうことか頭の後ろに150キロ超のストレートを投げて威嚇した。のちにプロで3度の三冠王を手にする落合博満は、「あれを避けられず頭に当たっていたら、私はプロ入りできなかったかもしれない。これが世界の野球なのか、そう感じたよ」と、その打席を振り返る。このワンシーンは、1978年、ヨーロッパの先陣を切ってイタリアで開催された第25回アマチュア野球世界選手権大会のものだ(1938年の第1回大会はイギリスで開催されているが、これはイギリスとアメリカの対抗戦を第1回大会としたものである)。

 このように、ヨーロッパ諸国をリードしてきたイタリアの野球は、1919年にアメリカ在住の若いイタリア人、マックス・オットがトリノを訪れた時に持ち込まれたと伝えられている。オットは翌1920年にはローマで、大学教授のギド・グラジアニとともに2チームを作って試合をさせる。そうして一部の学生が野球に関心を持つと、1931年にはさらに野球を学びたいという学生たちが渡米。彼らが帰国すると、大学グラウンドで実施された試合には多くの観客が集まったというが、オットやグラジアニがアメリカに渡り、第二次世界大戦が始まると少しずつ下火になってしまう。しかし、アンツィオの戦いで侵攻してきた連合軍とともに、オットとグラジアニが再び帰国すると、終戦直後の1948年3月12日、オットはミラノでイタリア初の野球リーグを創設。ちなみに、グラジアニはソフトボール・リーグを創設しており、1949年にはイタリア野球・ソフトボール連盟(FIBS)が結成されている。それを機に、イタリア人のチームはスペインを相手に初めての国際試合を行ない、1953年には近隣諸国に声をかけてヨーロッパ野球連盟を設立する。こうした流れを見ても、イタリアはヨーロッパ野球のリーダーだと言える。

 発足したばかりのイタリア・リーグでプレーしていたアルド・ノタリは、17年の現役生活を1967年に終えると、イタリア野球連盟副会長に就任してリーグのレベルアップに腐心し、1970年にコロンビアで開催された第18回アマチュア野球世界選手権大会にイタリア代表チームを送り込む。さらに、1976年には国際アマチュア野球協会(国際野球連盟の前身)委員となり、翌1978年には母国で第25回アマチュア野球世界選手権大会を開催。野球がオリンピック競技に採用されるよう尽力し、1984年のロサンゼルス・オリンピックで野球が公開競技として実施され、1992年のバルセロナ・オリンピックから正式競技に採用される流れの中で中心的な役割を果たす。その貢献を認められ、1993年には国際野球連盟会長に就任。2006年7月に73歳で死去するまで14年間にわたって重責を担う一方、自ら経営する建設会社でヨーロッパを中心にいくつもの野球場を建設した。

 1948年に発足した国内リーグはセリエAと呼ばれ、A2、B、C1、C2と下部組織も充実させることで競技人口の拡大を図った。ただ、サッカーが世界のトップレベルに君臨しているのに対して、野球ではそう簡単にアメリカ大陸や日本をはじめとするアジア勢に追いつくことはできず、1960年代になるとアメリカやキューバからコーチを招いて技術力の向上を目指す。1970年代以降、ノタリのバックアップで国際大会にも積極的に参加したことにより、バルセロナ・オリンピックの予選リーグではプエルトリコに0-2、ドミニカ共和国には延長10回5-7と善戦。1996年のアトランタ・オリンピックでは韓国とオーストラリアに勝って8チーム中6位になるなど、世界の舞台での躍進を期待させるまで力をつけた。1998年にホストとなって開催した第33回世界野球選手権大会では、準々決勝でオーストラリアを破り、ついに世界のベスト4に食い込んだ。

 ところが、国際野球連盟が野球をオリンピック競技に留めるための条件と考え、1997年から国際大会にプロ選手の参加を容認すると、セリエAの強化を軸に歴史を重ねてきたイタリアの野球は、1998年の栄光が夢だったかのように世界の第一集団から引き離されてしまう。セリエAも積極的に外国人選手を呼び込み、日本からもプロや社会人の経験がある選手が何名かプレーする。そうやって再強化の道を模索していた2006年、新たな世界大会であるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が創設され、マイク・ピアッツァ(サンディエゴ・パドレス)、ヴァル・パスクチ(千葉ロッテ)らイタリア系アメリカ人のプロ選手も代表入りするようになる。これをきっかけにメジャー・リーグ機構(MLB)との連携も強化され、2007年の第37回IBAFワールドカップでは、優勝したアメリカを予選リーグで6-2と下し、2009年の第38回IBAFワールドカップでは社会人で編成した日本からも勝利を挙げる。さらに、2010年に台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップでは、若手とはいえプロのみの日本に3-0で完勝し、2013年のWBCではメキシコとカナダを破って二次リーグ進出を果たしている。過去3回のWBCでいずれも代表入りしたアレッサンドロ・マエストリ投手は、2012年途中からオリックスに在籍しており、NPBでは初となるイタリア生まれでイタリア育ちの選手だ。そして、2007年から代表チームを率いるマルコ・マッツィエリ監督は、手堅い采配で勝利を引き寄せる手腕に長けている。

 こうした再浮上の土台となったのは、セリエAを本格的に強化し、2010年にセリエAで実力の高い8チームを選抜してプロリーグのイタリアン・ベースボール・リーグ(IBL)を発足させたことだろう(セリエAはその下部組織となった)。6年目のシーズンとなる今年は3月27日に開幕し、週末に2試合総当たりで1チーム14試合のリーグ戦を実施。上位4チームがプレーオフで優勝を争う。本命は、昨年のヨーロピアン・カップ(クラブチームのヨーロッパ王座決定戦)を制したT&Aサンマリノか。サンマリノ共和国をホームにしているため、ヨーロピアン・カップにはサンマリノ代表で出場するチームは、ベネズエラ出身でイタリア国籍を取得した44歳のスラッガー、ハイロ・ラモスを軸にした打線の破壊力が抜群。投手を中心に安定した守備力も光る。2013年にヨーロピアン・カップで優勝し、アジアシリーズにも出場したフォルティチュード・ボローニャは、本拠地スタディオ・ジャニン・ファルチに多くの観客を集める。2012年にはG.G.佐藤(元・千葉ロッテ)が所属した。2009年に完成したスタディオ・クアドリフォーリオを本拠地にするパルマ・ベースボールクラブも、IBL初代王者の意地を見せたいところだ。そのほか、イタリア代表でもシュアな打撃で高い実績を残しているマリオ・キアリーニがプレーするASDリミニ、チッタ・ディ・ネットゥーノ、ネットゥーノ2、パドヴァ、ゴドの計8チームを中心に、イタリアの野球はさらなる発展を目指している。

 昨年のヨーロッパ選手権決勝でオランダに敗れ、オランダの21回優勝に対してイタリアは10回優勝と、代表レベルではライバルのオランダに水をあけられている。だが、昨年のヨーロッピアン・カップ決勝ではT&AサンマリノとASDリミニが対戦したように、クラブレベルではヨーロッパの野球を牽引していると言っていい。IBLとMLBの協力関係をさらに強化し、2017年のWBCでは前回を上回る快進撃を見せたいところだ。

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