

北京五輪アジア地区最終予選でニッポンの四番を務めたのは、新井貴浩だった。昨年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では代打出場しかなく、四番抜てきを不安視する声もあったが、そうした周囲の雑音を、新井はバットで振り払った。 3試合すべてにフル出場し、打率5割、1本塁打、5打点の大活躍。大会MVPこそ阿部慎之助に譲ったが、四番にふさわしい働きでその実力を証明した。
成長したという自信が四番の重圧をはねのけた
- ──帰国して数日がたちました。もう興奮は冷めましたか。
- そうですね。ただただホッとして、今は疲れがどっと出ています。
- ──フィリピン、韓国、台湾と戦ったわけですが、一番興奮した、シビれた場面は。
- 2つありますね。1つは韓国戦の8回に、岩瀬(仁紀)さんが内角直球で見逃し三振を取ったとき。それと、台湾戦の初回にデッドボールをファウルと言われて、その後、打った先制タイムリーです。
- ──あれ、当たっていますよね?
- 思いっきり当たっています。(判定に)びっくりしました。(一塁ベースへ)半分くらいまで歩いたところで、何か後ろで声が聞こえるんですよ。振り返ったら審判が手招きしてるんで、「まさか」と思って。一塁コーチだった宮本(慎也)さんに「(当たったところを)見せに行け」と言われて、赤くなったところを見せたんですけどね。(星野仙一)監督も抗議してくれましたけど、途中から「OK、OK」と。それで、僕のほうを見て、「よし、いけ! お前が打ってかえせ!」と大きい声で言われたんです。そこでまた気合が入って、ぐっと気持ちが高ぶりましたね。で、ヒジ当てを外してバーンと投げて……。
- ──あの行動を見て、気合が入っているのが伝わってきました。そして、タイムリーを打った瞬間、ものすごいガッツポーズが出ましたよね。
- 本当にうれしかったですよね。ふだんじゃ考えられないですけど、あの3日間で100回以上は軽くガッツポーズしていると思います。打つときに限らず、守備でも一つのアウトごとにガッツポーズが自然と出てしまうというか。それくらい、絶対勝つんだという気持ちになっていましたね。
- ──守備のとき、少し硬くなっているようにも見えましたが。
- あの球場、グラウンドが良くなかったんですよね。芝も悪いですし、アンツーカーも掘れやすくて、すぐボコボコになる。練習のときからそれは分かっていましたから、試合になったら全部、体に当てて止めようと思っていました。だから、自然と硬くなっていましたね。
- ──韓国戦の最後のフライを捕るときは。
- 長く感じましたね。すごく長く感じました。フライが上がってから自分のグラブに入るまでが、あれほど長く感じたフライはないですね。
- ──上原(浩治)投手はフライが上がった瞬間、万歳をしていました。
- そんなの見えないですよ、僕には。あの瞬間、頭が真っ白になりましたよね。試合時間もたしかに長かったですけど、本当に長く感じました。2倍にも3倍にも。展開上、逃げ切る立場だったし、ピンチの連続でしたから、スコアボードを見ながら、「早く終わってくれ、早く終わってくれ」と。今までで一番長く感じた試合ですね。
- ──岩瀬投手の見逃し三振の場面も挙げてくださいましたが、シーズン中は3イニング目に突入することはまずありません。ご本人は何かおっしゃっていましたか。
- 「ナイスピッチングです!」と言ったら、「良かった〜〜〜」と。岩瀬さんは左ピッチャーでしょう。僕はファーストを守っていたんで、岩瀬さんの表情が結構、見えたんですよ。すっごい顔をしていましたからね。ものすごい形相。岩瀬さんのああいう顔は、見たことがなかったです。
- ──これまで打席から見ていた岩瀬投手とは違った?
- 全然、違いましたね。だから、「うわっ、気合入ってるな」と。
- ──新井選手もそういう顔だったのでは。星野監督は「新井が一番、すごい顔をしていた」とおっしゃっていましたよ。
- 自分では全然、分からなかったんですけど、周りの選手や裏方さんには、「目が飛んでいた」と言われました(笑)。
- ──それほど緊張したのは、「勝つ」プレッシャーに加えて、「ジャパンの四番」というプレッシャーがあったからでしょうか。
- ありましたね。マスコミには「4番目の打者だと思ってやっています」と言っていましたし、たしかにそういう気持ちもあったんですけど、実際、打てなくて負けたら「四番の責任」というのは大きいですからね。その重圧はすごかった。自分は「4番目」と思っていても、周りの目はそうは見てくれないですし。結果を出さないと、そして試合に勝たないと、とんでもないことになると。そういうことを考えていたら、ず〜っと寝られなくて……。
- ──監督、コーチから「四番はお前でいくから」といった言葉は掛けられたのですか。
- 監督から神戸(10月29日〜合同自主トレ)で言われました。「4番目でいくぞ」と。「頼んだぞ」みたいな感じで肩をたたかれたので、その日から寝られなくなりました(苦笑)。
- ──寝られない日が随分、長く続いたんですね(笑)。
- 自分の問題(FA移籍)もありましたし、いろんな意味で激動の期間でしたね。
- ──正直なところ、自分が四番かもしれないという予感はあったのですか。
- まったく考えてなかったですね。新聞にも書いてあった通り、小笠原(道大)さんだろうなと。でも、小笠原さんから電話をもらったんですよね。神戸の集合日に、広島駅に向かうタクシーの中で。「今日からよろしくお願いします」と言ったら、「ダメになった。ヒザを手術することになったから、頼んだ」みたいに言われて。その電話を切って、自分の中でいろいろシミュレーションをしたんですよ(笑)。そこで、ちょっと待てよと。「まさか……」という気持ちにはなりましたね。
- ──星野監督に正式に告げられてからは、四番のプレッシャーと闘いながら、ご自身の身の振り方も考えないといけないし……。練習に集中するのも難しかったのでは。
- でも、逆に考えると、一人で悶々と悩んでいるよりは良かったかもしれないですよね。ユニフォームを着ているときだけは、自分が今、置かれている状況を忘れられましたから。代表のユニフォームにはそれだけ重みがありますし、ユニフォームを着ているときは私的なことを考えてはダメだと思っていました。
- ──プレッシャーに打ち勝って、四番として結果を残せた要因は何だと思いますか。
- う〜ん……やっぱり気持ちですかね。気持ちが自然と前面に出たので、それがいい結果につながったと思います。
- ──その気持ちが空回りすることはありませんでしたか。
- ふだんはよく空回りするんですけど(笑)、今回は大丈夫でしたね。技術的な部分もWBC(06年ワールド・ベースボール・クラシック)のときに比べて成長しているというのが、自分でも多少あったんで。WBCのときは(前年に)ホームラン王を取って、でも実質1年目だったんですね、一年通して活躍したというのは。だから、自分に対して自信もなかったですし、そういう自信のないところに気持ちだ、気持ちだと言っても結果はついてこないだろうと思うんです。でも、今回はある程度やってこられたっていう自信があったんでしょうね。だから、気持ちとうまく絡み合って、いい結果が出たんじゃないかと思います。
- ──同じ国際大会でも、WBCとオリンピックは違いましたか。
- 違いましたねえ。まず歴史が違いますよね。宮本さんとか和田(一浩)さんに、前回の(アテネ五輪の)予選の話とか、いろいろ聞いていたんです。WBCも一緒だったんで、その違いも。「五輪は震えるぞ」「自分の体じゃなくなるぞ」って聞いていたんですけど、まさかここまでとは……。かなりヤバイと覚悟していたつもりでも、それより全然、上でした。
Copyright(c)2008 BASEBALL MAGAZINE SHA Co., Ltd. All rights reserved.